今回の話題にぴったりなので いらすとやさんからお借りしました
西暦1592年の4月から文禄の役が始まります
5月初めに朝鮮国の首都を陥落させ、
引き続き小西行長軍が現在の北朝鮮の首都に進軍し、
加藤清正も同じく現在の北朝鮮の咸鏡道に
進撃していきました
タグ:李如松
文禄二年 1593 平壌攻防戦
加藤清正軍と明軍でおこなわれた一方的な白兵戦 唐武陣 文禄・慶長の役の偏り17
文禄2年(1593) 11月03日に、
加藤清正軍と明軍、朝鮮軍が合戦をしています
この時期は、小西行長と明の沈遊撃との間で
明側が2名の人質をだして日本に赴いて
和平を乞うという形で協定が結ばれたので、
日本軍は釜山周辺に集結していました

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加藤清正軍と明軍、朝鮮軍が合戦をしています
この時期は、小西行長と明の沈遊撃との間で
明側が2名の人質をだして日本に赴いて
和平を乞うという形で協定が結ばれたので、
日本軍は釜山周辺に集結していました

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奮戦・小西行長軍 文禄・慶長の役の偏り10
おはようございます
明けましておめでとうございます&主の
ご降誕おめでとうございます
22日の カンガス 神父 の黙想会のあとは、
24日の降誕祭、その後のお祝い会と25日の御ミサ、
1月1日の神の母聖マリアと続きました
では今日の内容は
文禄2年(1593)の1月7日の平壌城の戦い
53000の明・朝鮮軍が小西行長が守る平壌城に
攻城戦をしかけます
小西行長が、日本人の習慣から見れば
いとも卑しい行為と言った状態で戦闘になったこと、
明・朝鮮軍の大きな損害、城内の建物や民衆の被害など、
これらのことを中国、韓国(朝鮮)に慮るためか
あまり詳しく伝えられることも少ない気がするので、
今回は平壌攻防を記事にします
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明けましておめでとうございます&主の
ご降誕おめでとうございます
22日の カンガス 神父 の黙想会のあとは、
24日の降誕祭、その後のお祝い会と25日の御ミサ、
1月1日の神の母聖マリアと続きました
では今日の内容は
文禄2年(1593)の1月7日の平壌城の戦い
53000の明・朝鮮軍が小西行長が守る平壌城に
攻城戦をしかけます
小西行長が、日本人の習慣から見れば
いとも卑しい行為と言った状態で戦闘になったこと、
明・朝鮮軍の大きな損害、城内の建物や民衆の被害など、
これらのことを中国、韓国(朝鮮)に慮るためか
あまり詳しく伝えられることも少ない気がするので、
今回は平壌攻防を記事にします
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