摂津守のブログ

過去に喜楽さんのサイト 別に摂津守の御内だす のブログを 持ってました 摂津守から記事を移動中

タグ:明軍

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朝鮮軍は、遠征軍のキリシタンの将兵から聞き取りした
キリスト教のイエズス会の宣教師の
フロイスの記録にあるようにトルコ弓のように、
小型の弓を使用していました


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bikkuri_me_tobideru_man - コピー
今回の話題にぴったりなので いらすとやさんからお借りしました


西暦1592年の4月から文禄の役が始まります

5月初めに朝鮮国の首都を陥落させ、
引き続き小西行長軍が現在の北朝鮮の首都に進軍し、
加藤清正も同じく現在の北朝鮮の咸鏡道に
進撃していきました

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文禄・慶長の役で、明帝国は属国の朝鮮国の為に
救援軍を派遣しますが、明国各地から集められた
武将、将兵ともに実戦経験が豊富で
練度も高い部隊が選ばれています

その中でも軍勢が異質なのは、明国南方から派遣された、
南軍に属する劉綎の軍でしょう

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今回は朝鮮側の記録から見た
文禄・慶長の役シリーズの番外編です

天下を統一した豊臣秀吉が大規模な軍事行動を
天正20年(1592)に起こし、朝鮮半島を舞台に
明帝国と属国の朝鮮と7年間戦います

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文禄2年の4月~5月に、遠征軍は明国との使者との間で
休戦協定が締結されたので、漢城や江原道、
忠清道に駐屯していた部隊が一斉に朝鮮半島南部の
慶尚道の昌原、熊川、金海、釜山に移動しました




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慶長2年9月19日に日本城の順天倭城の
小西行長軍13700名を攻撃するために、
主力の明軍と属国軍の朝鮮軍の混成軍、
すなわち右路軍が水陸から54556名を
以て攻め寄せます

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