今回は朝鮮側の記録から見た
文禄・慶長の役シリーズの番外編です

天下を統一した豊臣秀吉が大規模な軍事行動を
天正20年(1592)に起こし、朝鮮半島を舞台に
明帝国と属国の朝鮮と7年間戦います


明の記録にはこうあります

自倭亂朝鮮七載,喪師數十萬,糜餉數百萬,
中朝與屬國迄無勝算,至關白死而禍始息
(明史)

文章を見てもらえばわかる通り、

“朝鮮で7年間戦い、数十万の兵を失い、
数百万を使い、明朝鮮ともに勝利の見込みはなかったが、
関白(秀吉)が死んだので終わった”

と記録されています。

また同じ明史の別の記録でも、
780余万を日本との戦いに使用されたとあります


しかし、明史は滅亡してから、およそ約百年後の清帝国に
よって1739年に編纂されていることから、
日本軍との戦いで使用した数百万や800万は、
清帝国が明を貶すために誇張したものであると、
主張する人がボチボチ見られます

余談ですが、こう主張する人はどちらかというと
反日思考の人が多い気がします

さて彼らの主張は本当でしょうか?

そこで、当時の朝鮮の記録を見てみましょう

我が国では江戸時代の御代 元和4年 皇紀2278年
明帝国では萬暦46年 西暦1618年

光海君 の10年6月6日の記録の一文です↓

”或云朝鮮之役 首尾七年費近八百萬云”
 
慶長の役が終了し、明帝国も存続している20年後の
朝鮮の記録です

この事から、“清帝国が編纂したから信用できない”の
主張は成り立たなくなります

もっとも、今度は”朝鮮の記録だから信用できない”と
くるかも知れませんが、
それはそれで、自分の首を絞める結果となるでしょう


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