韓国・北朝鮮では秀吉軍と戦った朝鮮官軍以外の部隊、
いわゆる義兵が民族抵抗の象徴として語られることが多いです

義兵というのは、一般民衆や賤民で
構成された部隊であり、引退し郷里に
住んでいた役人や現役の武官や役人によって
統率されていました

日本でも一般イメージでは、義兵はゲリラ戦で
秀吉軍を散々苦しめ、補給路を断ち(実際は違うのですが)、
奇襲攻撃を仕掛け、縦横に活躍したと
書かれることが多いようです


しかし、そのイメージで宣祖実録や
ほかの記録を読むと拍子抜けしてしまうでしょう

義兵とともに忠清道、慶尚道、全羅道にいた朝鮮官軍にも
同じことが言えますが、
確かに彼らは秀吉軍と戦いを展開するのですが、
それは非常にささやかな戦果であるということです

例えば、咸鏡道で朝鮮正規軍3000人が
400人の加藤清正軍と戦い、
さらに近隣にいた200余の加藤軍とも戦って、
ようやく100個首級を得て、
それで朝鮮王朝にとって御の字であるというのを
見れば多くの説明はいらないでしょう

しかも、これは勝敗はつかない戦いでした
また韓国では、ただの遭遇戦や勝敗が
記されていない戦いも勝利とカウントしているようで、
これも日韓で流布されている義兵神話に
拍車をかけているようです

また朝鮮出兵からだいぶ経ってから、
義兵の子孫が記した先祖の活躍が、
そのまま流布されているパターンもあります

このあたりも、のちに詳しく記事にしたいですね

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