今回の内容は、私がとくに好きな話なのですが、
朝鮮軍に降った一人の日本兵の記録です

慶尚右兵使 金應瑞申し上げます
今日 降倭が至誠を持って敵と戦うこと、
驚嘆にたえません。
今年の3月に、清正配下の倭人 沙白𩿨(사백구)という
名の倭が一名、我が陣に投降した。
私には与える物がなく、養うことが難しかったので、
金海府使の所に送った
この度の黄石の敗北時では(沙白𩿨)鉄砲を使い、
4人の倭を倒したが、
金海の人間が敵に通じ我先にと城から逃亡した
府使・白士霖も、このまま敵の刃に倒れる運命だったが
沙白 丘+鳥は士霖を引いてゆき、岩穴に隠れ、
黄石と草木で覆ったので、敵はその存在を知らなかった
翌日、日本軍が入場し四方の門を閉じた。
そこで沙白𩿨は、また計を練り士霖を縛り、
彼は倭人の格好をして、
士霖を敵の衆の中に引っ張り出し、門を守る敵兵に問うた。
「汝たちは門番というが何を守っていたのだ?
朝鮮の盗賊が入りこんでいるではないか
このように盗賊が捕まったので、
汝たちの罪は死に値する」
といって刀の峰で背中を打つと、
番兵は半ば死んだような有様で哀願した
「自分たちは、遠くから苦労してここまで来たので、
不覚にも眠ってしまった
城中に盗賊を入れたのは確かに罪だ
しかしこの事が上役に知れたら許してはくれないだろう
ここは自分たちの失態を見なかったことにしてくれないか?」
とやりとりし、門を開けさせた
沙白𩿨は士霖を引き出して城外にでて、
彼を山中に隠すと、どこかに行ってしまい、
帰ってこなかった
府使(士霖)は「倭軍に投降して自分の首を取りに戻り、
手柄にするのかもしれない」と思い恐ろしくなり、
疲労で手足も動かなくなっていたので、
歩いて20歩程度の林の窪地に隠れていた
三更(2時間)ほど経つと、沙白𩿨が下山してきて、
大きな容器に山盛りのご飯、醤油 大根 陶の容器に
並々と入った冷水、そして米も持っていた
府使(士霖)の姿が見当たらないので、
彼は地団駄をふみため息をついた。
そして、声を殺して府使(士霖)を読んだ
府使(士霖)、そのとき初めて、彼に異心が
ないことを知り「沙白𩿨」と応答した
彼は、すぐに走ってきて府使に抱きついて述べた
「上官(士霖)が元の場所にいなかったので、
敵に捕らわれたのかと思いましたが、
上官がここにおられると知り、嬉しくて言葉もない
上官が飢えているので、私は倭人の姿になり
敵陣に入りました
そこで、【自分は安陰の陣の兵だが、
食料もなく、寒い思いをしている、
故郷からも離れてつらい汝たちが城を落としたときの戦利品を、
少し自分に恵んでくれないだろうか?】
すると何人かの敵兵が、かわいそうに、
かわいそうにと言いながら 米と飯、
醤油や衣類2着を持たせてくれました」
と話し終えると、府使に食事を差し出し、衣類を其の身に
かけてやりながら泣くばかりであった
府使は厚意の言葉を彼にかけて慰めた
府使が食事を終えてから、はじめて沙白𩿨も食べはじめ、
ようやく生き返った心地になった
現在、わが国の高位の人間たちは家長、
妻子を救済することはせず、
無知な野蛮な人間のほうが、このような誠心を持っています
これは慙愧に耐えぬことです
沙白丘+鳥には、特に重賞を与えて
彼の心を慰めるべきです
投降する倭人たちにも、保身の路が
あるという久遠の計として、降倭に朝鮮名を賜るように、
朝廷には速やかな配慮を願います
備辺司
宣祖30年 92巻 9月8日(乙未) 1597
黄石とは1597年8月の黄石山城の戦いのことで、
白士霖は、戦闘の最中に家族を逃がして、
自身も遁走しようとしますが、
逃げ切れなかったところに、
沙白𩿨によって助けられました
白士霖は、黄石山の戦闘の最中に
逃げ出したことが問題となり
1598年1月に逮捕されて拷問を受けたものの
死刑までにはならず釈放されます
沙白𩿨は、まさに異郷にあっても
日本人の精神を発揮した人物だといえます
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朝鮮軍に降った一人の日本兵の記録です

慶尚右兵使 金應瑞申し上げます
今日 降倭が至誠を持って敵と戦うこと、
驚嘆にたえません。
今年の3月に、清正配下の倭人 沙白𩿨(사백구)という
名の倭が一名、我が陣に投降した。
私には与える物がなく、養うことが難しかったので、
金海府使の所に送った
この度の黄石の敗北時では(沙白𩿨)鉄砲を使い、
4人の倭を倒したが、
金海の人間が敵に通じ我先にと城から逃亡した
府使・白士霖も、このまま敵の刃に倒れる運命だったが
沙白 丘+鳥は士霖を引いてゆき、岩穴に隠れ、
黄石と草木で覆ったので、敵はその存在を知らなかった
翌日、日本軍が入場し四方の門を閉じた。
そこで沙白𩿨は、また計を練り士霖を縛り、
彼は倭人の格好をして、
士霖を敵の衆の中に引っ張り出し、門を守る敵兵に問うた。
「汝たちは門番というが何を守っていたのだ?
朝鮮の盗賊が入りこんでいるではないか
このように盗賊が捕まったので、
汝たちの罪は死に値する」
といって刀の峰で背中を打つと、
番兵は半ば死んだような有様で哀願した
「自分たちは、遠くから苦労してここまで来たので、
不覚にも眠ってしまった
城中に盗賊を入れたのは確かに罪だ
しかしこの事が上役に知れたら許してはくれないだろう
ここは自分たちの失態を見なかったことにしてくれないか?」
とやりとりし、門を開けさせた
沙白𩿨は士霖を引き出して城外にでて、
彼を山中に隠すと、どこかに行ってしまい、
帰ってこなかった
府使(士霖)は「倭軍に投降して自分の首を取りに戻り、
手柄にするのかもしれない」と思い恐ろしくなり、
疲労で手足も動かなくなっていたので、
歩いて20歩程度の林の窪地に隠れていた
三更(2時間)ほど経つと、沙白𩿨が下山してきて、
大きな容器に山盛りのご飯、醤油 大根 陶の容器に
並々と入った冷水、そして米も持っていた
府使(士霖)の姿が見当たらないので、
彼は地団駄をふみため息をついた。
そして、声を殺して府使(士霖)を読んだ
府使(士霖)、そのとき初めて、彼に異心が
ないことを知り「沙白𩿨」と応答した
彼は、すぐに走ってきて府使に抱きついて述べた
「上官(士霖)が元の場所にいなかったので、
敵に捕らわれたのかと思いましたが、
上官がここにおられると知り、嬉しくて言葉もない
上官が飢えているので、私は倭人の姿になり
敵陣に入りました
そこで、【自分は安陰の陣の兵だが、
食料もなく、寒い思いをしている、
故郷からも離れてつらい汝たちが城を落としたときの戦利品を、
少し自分に恵んでくれないだろうか?】
すると何人かの敵兵が、かわいそうに、
かわいそうにと言いながら 米と飯、
醤油や衣類2着を持たせてくれました」
と話し終えると、府使に食事を差し出し、衣類を其の身に
かけてやりながら泣くばかりであった
府使は厚意の言葉を彼にかけて慰めた
府使が食事を終えてから、はじめて沙白𩿨も食べはじめ、
ようやく生き返った心地になった
現在、わが国の高位の人間たちは家長、
妻子を救済することはせず、
無知な野蛮な人間のほうが、このような誠心を持っています
これは慙愧に耐えぬことです
沙白丘+鳥には、特に重賞を与えて
彼の心を慰めるべきです
投降する倭人たちにも、保身の路が
あるという久遠の計として、降倭に朝鮮名を賜るように、
朝廷には速やかな配慮を願います
備辺司
宣祖30年 92巻 9月8日(乙未) 1597
黄石とは1597年8月の黄石山城の戦いのことで、
白士霖は、戦闘の最中に家族を逃がして、
自身も遁走しようとしますが、
逃げ切れなかったところに、
沙白𩿨によって助けられました
白士霖は、黄石山の戦闘の最中に
逃げ出したことが問題となり
1598年1月に逮捕されて拷問を受けたものの
死刑までにはならず釈放されます
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