摂津守のブログ

過去に喜楽さんのサイト 別に摂津守の御内だす のブログを 持ってました 摂津守から記事を移動中


一部を紹介します

これは面白い内容だと思います


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文禄の戦いが終わり、日本と明の交渉が
行われている合間に李氏朝鮮では、
戦った朝鮮官軍や義兵への論功問題が起きます


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文禄・慶長の役で、明帝国は属国の朝鮮国の為に
救援軍を派遣しますが、明国各地から集められた
武将、将兵ともに実戦経験が豊富で
練度も高い部隊が選ばれています

その中でも軍勢が異質なのは、明国南方から派遣された、
南軍に属する劉綎の軍でしょう

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朝鮮通信使のウキペディアには、天和2年(1682)に
派遣された第6回の通信使たちの素行の悪さが
記されています。(注:1)

しかし、天和2年より46年前の皇紀2296年・寛永13年(1636)の
朝鮮王・仁祖時代、第4回通信使の品行に
ついて記された記録もあります

朝鮮側の記録である海槎録に記されています

これは知られていないので、
ご紹介しましょう
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天正20年(文禄元年・1592年)の3月~4月に、
日本を平定した豊臣秀吉が、大規模な海外遠征、
すなわち明国を征討を目指した 【唐入り】 が始まります

その際に、明国討伐の途上にある李氏朝鮮国は、
明国の属国であったことから秀吉軍と戦いになります

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今回は朝鮮側の記録から見た
文禄・慶長の役シリーズの番外編です

天下を統一した豊臣秀吉が大規模な軍事行動を
天正20年(1592)に起こし、朝鮮半島を舞台に
明帝国と属国の朝鮮と7年間戦います

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