摂津守のブログ

過去に喜楽さんのサイト 別に摂津守の御内だす のブログを 持ってました 摂津守から記事を移動中

タグ:小西行長

さて、本日の記事は昨日の記事の
続編です

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こんばんは


7月に入りましたね
大雨には注意したいものです

では本日はタイトルにあるように日本の記録と
李氏朝鮮の記録から、文禄の役の初戦である釜山城の
戦いを再現します


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文禄・慶長の役で、明帝国は属国の朝鮮国の為に
救援軍を派遣しますが、明国各地から集められた
武将、将兵ともに実戦経験が豊富で
練度も高い部隊が選ばれています

その中でも軍勢が異質なのは、明国南方から派遣された、
南軍に属する劉綎の軍でしょう

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天正20年(文禄元年・1592年)の3月~4月に、
日本を平定した豊臣秀吉が、大規模な海外遠征、
すなわち明国を征討を目指した 【唐入り】 が始まります

その際に、明国討伐の途上にある李氏朝鮮国は、
明国の属国であったことから秀吉軍と戦いになります

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慶長2年9月19日に日本城の順天倭城の
小西行長軍13700名を攻撃するために、
主力の明軍と属国軍の朝鮮軍の混成軍、
すなわち右路軍が水陸から54556名を
以て攻め寄せます

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明国の提督、李如松は43500人の明軍を率い
1592年12月末に朝鮮国に入ります。

1593年1月に、明軍と朝鮮軍(8000~17000人)は
小西行長の居城の平壌を攻撃し、苦戦しながらも、
小西軍を場外に追い出すことに成功しました

ここで明軍は3000余の死傷者をだします
また平壌攻撃前に病弱落伍兵300人と
軍馬1000頭を失っていたので、こ
の時点で3300余の損耗でした
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