2020年07月03日 複数の日本 朝鮮双方の記録から見る 釜山城攻防戦 こんばんは7月に入りましたね大雨には注意したいものですでは本日はタイトルにあるように日本の記録と李氏朝鮮の記録から、文禄の役の初戦である釜山城の戦いを再現します続きを読む タグ :#小西行長#文禄・慶長の役#朝鮮出兵#秀吉#李氏朝鮮
2017年08月25日 明帝国 南軍・劉綎の異質な兵たち 文禄・慶長の役で、明帝国は属国の朝鮮国の為に救援軍を派遣しますが、明国各地から集められた武将、将兵ともに実戦経験が豊富で練度も高い部隊が選ばれていますその中でも軍勢が異質なのは、明国南方から派遣された、南軍に属する劉綎の軍でしょう続きを読む タグ :#文禄・慶長の役#朝鮮出兵#秀吉#李氏朝鮮#明軍#劉綎#小西行長
2017年07月17日 フロイスと李氏朝鮮の記録 漢城の朝鮮人 天正20年(文禄元年・1592年)の3月~4月に、日本を平定した豊臣秀吉が、大規模な海外遠征、すなわち明国を征討を目指した 【唐入り】 が始まりますその際に、明国討伐の途上にある李氏朝鮮国は、明国の属国であったことから秀吉軍と戦いになります続きを読む タグ :#文禄・慶長の役#朝鮮出兵#秀吉#李氏朝鮮#順倭#フロイス#小西行長#宇喜多秀家
2017年01月05日 順天城の明軍と朝鮮軍の損害 慶長2年9月19日に日本城の順天倭城の小西行長軍13700名を攻撃するために、主力の明軍と属国軍の朝鮮軍の混成軍、すなわち右路軍が水陸から54556名を以て攻め寄せます続きを読む タグ :#文禄・慶長の役#朝鮮出兵#秀吉#李氏朝鮮#明軍#朝鮮水軍#李舜臣#小西行長#降倭#島津義弘
2015年04月15日 李如松の明軍 朝鮮入り4ヶ月で 14500以上の損耗 文禄・慶長の役の偏り18 明国の提督、李如松は43500人の明軍を率い1592年12月末に朝鮮国に入ります。1593年1月に、明軍と朝鮮軍(8000~17000人)は小西行長の居城の平壌を攻撃し、苦戦しながらも、小西軍を場外に追い出すことに成功しましたここで明軍は3000余の死傷者をだしますまた平壌攻撃前に病弱落伍兵300人と軍馬1000頭を失っていたので、この時点で3300余の損耗でした続きを読む タグ :#文禄・慶長の役#朝鮮出兵#秀吉#李氏朝鮮#明軍#小西行長#加藤清正