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朝鮮軍は、遠征軍のキリシタンの将兵から聞き取りした
キリスト教のイエズス会の宣教師の
フロイスの記録にあるようにトルコ弓のように、
小型の弓を使用していました


小さいから取り回しは容易で、
連射も効くところがポイントです


ただし、対日本軍戦ではそんなに
有効ものではなかったようです


文禄の役後の休戦期間中と慶長の役の終戦後の
李氏朝鮮の記録には、戦争の反省会の記述がありますが、
朝鮮軍の戦術についてもいくつか触れられています

朝鮮軍の弓については、戦場・彼我の状態によっては
有効に活用する場面もありましたが、
全体でみれば芳しくなかったと読み解くことができます


戦いで朝鮮軍は、剣や槍はあったものの弓を
中心に扱っていました

それは弓が得意であったというより
敵の目前で命を懸けてやりあう気概に
欠けていたことが起因しているようです

記録によると、
「我軍(朝鮮)は、弓くらいしか扱えなかったので
倭軍の突撃を止めることができなかった」と
総括しています


倭兵(日本)は命を捨てて斬り込んでくる
と記録されるほどの気迫なので度肝を抜かれたことでしょう


その弓戦術も稚拙であり、
考えなしに無暗矢鱈に矢を放って消費し、
さらに命中率も良くなく、矢が尽きたころや次の矢を準備を
しているところの間隙を秀吉兵に切り込まれて、
戦線が崩壊することが多かったようです



秀吉軍の突撃を止められなかった文禄の役後の反省で、
李氏朝鮮軍は新式の槍を導入したり、
剣術や槍術の訓練に力を入れます



投降した日本兵、いわゆる倭降や救援に
来た明軍の将兵たちから訓練を受けますが、
あまり上手くはいかなかったようです


軍官(武将)の指導不足 軍官や兵のやる気のなさ
人間関係の不味さ 食糧不足の飢えで
訓練どころではないなどの
さまざまな理由がありました


また文禄の役で、それなりに活躍されたとされる
朝鮮軍部隊の訓練の様子を見ていた明軍の将兵たちが、
その技量不足を嗤って馬鹿にしていたとの記録もあり、
朝鮮国は軍事のことが本当に
廃れていたのだとわかります


慶長の役も、文禄の役の経験を活かしきれず
朝鮮官軍や義兵もそんなに活躍できませんでした




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