以前から記事にしたいと書いていましたが、
朝鮮の民衆は、味方であるはずの
朝鮮官軍、義兵、一般の朝鮮人、中国の明軍から
襲われて首を取られることが珍しくありませんでした

文禄-慶長の役 1592-1598 を通じて
この現象は続きました

その一部を紹介します

宣祖27年 1594 423 の記録には、
以下の記録があります

司宰監僉正の崔德は、京幾道の加平郡守だったときに、
山に避難している多くの民を殺害し、髪を剃り、
これを日本人の首級とし恩賞に与っています

宣祖29年 1596 112 江原道の三陟府使の洪仁傑,
三陟浦僉使の朴瑊等は日本船が停泊しているという報告を
受けると、軍を出撃させ包囲して拿捕しています

そして日本人の首を取り功を得ています


しかし、真相は、この日本船に乗っていた人間たちは
日本国から苦労して逃亡してきた朝鮮人たちであり、
彼らは江原道の海岸に停泊して、地元の船頭の家で
食事を恵んで貰ったものの、この船頭は彼らを捕まえ、
三陟府に献上されて処刑されたのでした

洪仁傑らは、彼らを牢獄に繋ぎます

2日の後、彼らを処刑します

捕えられた朝鮮人たちは殺害される運命であることを知ると
泣き叫びながら哀願するも聞き入られなかったのでした。

ただ、そのうちの一人は異国で捕虜になり、
死ぬ思いで海洋万里を超えて、
故郷の山河を再び見ることができたし、
敵の刃にかかるよりは、ここで殺されるのも幸いだと、
言ったそうです

こうして全員、次々と処刑されました

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このようなことが、朝鮮の各地で頻繁に起きていたのでした

この上記の例は朝鮮の役人・官軍の行為ですが、
さきに書いた義兵、一般人、明軍のパターンもあります

明軍や義兵も似たり寄ったりで、
虚偽の軍功を挙げて褒賞をもらう為ですが、
一般の朝鮮人からも襲われた理由というのは、
日本兵の首を取れば、年貢の免除、銀の恩賞、
科挙試験の免除、官位の授与、
奴婢奴隷身分の解放などの特典に
与れる可能性があったからでした

酷いのになると慶長の役では、明軍の提督の劉綎が
朝鮮人の墓場から死体を掘り起こして首を切断して、
秀吉軍を打ち取ったと虚偽の戦功にしていました

過去の偽首関係の記事です↓

唐武陣 文禄・慶長の役の偏り3 朝鮮人の国民性と同胞の首切り

文禄二年 1593 平壌攻防戦


李如松の明軍 朝鮮入り4ヶ月で 14500以上の損耗 文禄・慶長の役の偏り18



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