さて本日は、当時の李氏朝鮮王朝が評した国民性の記録と、
朝鮮人が同胞の朝鮮人の首をとっていた記録を
紹介したいと思います

以下は以前の記事です

偏りシリーズその①です

偏りシリーズその②です

まずは国民性から、



「概して我が民は軽佻浮薄にして、名流の家柄までも、
父母の復讐一念で出陣した初志を忘れ、
酒に浸り遊興に憂き身をやつするのを恰も
太平の世の如くし真似は、たまたま未だ喪に服する身で
ありながら復讐心に燃え従軍した身分をわきまえず、
牛肉を貪り喰らうこと平人とたがうことなければ、
軍中でも嘲笑を浴び、なにがしの仇は日本軍に
あらず牛なりと非難する有様であった

士大夫にしてかくの如き態たらくなれば、
如何に軍卒として身を
投じ軍陣に赴く者あらんや

軍を結成後も、未だ一戦たりとも対戦せず、
唯、民家を犯して騒乱をまきおこし、無理に連れ去り兵となし、
重税を徴収して軍糧としたがために、
世間では愚夫愚婦までもが、
復讐軍の狼藉ぶりにたえかねて逃げ隠れ、
【復讐軍は一人の仇討ちも出来ないくせに、
われらの家族を破滅させる】と怨んだ
嘆かわしいかな

復讐軍の結成は、その名は芳しくその旨も
結構なものであったが、それも実らぬまま嘲笑の的となり果てた」

巻八七宣祖三十四年四月戌寅条


復讐軍とは慶長元年(1596)12月から、李氏朝鮮の支援によって
全国で編成された官製の義兵です。

前日の義兵関連の記事でも、不良義兵の無軌道ぶりを
掲載しましたが、後半戦の慶長の役でも、
今ひとつ振るいませんね

次は、首切りの記事です

「従軍して敵軍の首一級を斬った者には、
科挙及第を許可することになり、
人々はこれを斬首及第と称した

それからというものは、飢餓にさいなまれていた百姓らに、
もう一つの災難がふりかかり、いつどこで首を
掻き取られるか分からぬ厄介な時世となった

同胞を殺して剃髪し敵軍の首と偽ってさし出す者あれば、
敵軍兵の首であっても、他人から買い入れて提出する者もあり、
時には売買のかけ値が問題となって訴訟に及ぶこともあった

ともあれ、こうして二三品の昇叙に
ありつくというしまつであった」

春坡堂日月録巻九

科挙とは役人になるための試験ですが、戦乱であったため
敵の首をとれば試験をパスするという特別措置ですね

また明(中国)からの援軍、東征軍が、
虚偽の戦功を作るために朝鮮人の首を度々とっています

この辺は、さすが半島・大陸といったところでしょうか。
日本でも平安-安土桃山の戦乱時は
荒々しい所業もありますが、中国・朝鮮では、
より徹底していて、それがとくに珍しくもないと
いうのが特徴です

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