先日は、日本国内では意図的に教えられない義兵の
側面を書きましたが、今回は民衆の様子の一部を
掲載したいと思います。

前回の記事です

秀吉軍と交戦状態に入った朝鮮国内では、官吏・武官の逃亡、
民衆の反乱、数百数千の盗賊の跋扈、
秀吉軍を歓迎・協力する民衆の続出、
李朝の役人を捕まえて秀吉軍に突き出す等々。
そして一番隊の小西行長軍が破竹の勢いで
都に接近したので、朝鮮王・宣祖は、李王族、
廷臣とその一族を連れて逃亡したため、
さらに国内は混乱のるつぼとなります


乱仲雑録 壬辰七月条
「気立てが荒い奴僕らは、主人を殺して放縦にはしり、
或いは互いに刃傷沙汰に及び、
或いは互いにいん乱な非行を恣にした。」


懲毖録巻六辰巳録探報黄海道条
「西遷の王駕が平壌をも棄て、
再びあてもない西幸の途に上がるや、
敵軍の占領下では、遠近の民情がつながりを
保つ手段もなく、弱き者は敵軍に走って生を求め、
強き者は乱世を利用して盗賊になりはてた」


六月二十三日、日本軍に変装した匪賊四十余人が、
晋州の陽全里に押し寄せて、伏兵将李永寿と
女児二人を拉致し去った事件があった

その頃、晋州・固城沿海の漁夫らが土賊どもと結託して、
日本軍に変装して横行しながら掠奪狼藉の限りを
尽くしていたので、怯えた百姓らは、
それを避けて日本軍占領地区である
咸安郡・鎮海県・漆原県地方の郷里に帰って、
こ屋を建て農耕に従事する者が増えた



これに対する備辺司の処置を見れば、
先ず李永寿が一矢も報いずに
捕らえられたのは不当千万であるとし、晋州判官朴思斉を
巡察史軍営に呼び出し、笞刑を加えて見せしめにした
宣祖実録巻六十四 六月甲子


とくに3番目の記事で秀吉軍に化けて狼藉を働く朝鮮人が
いたことが記されていますが、
これはルイス・フロイスの「日本史」にも、
記されていることですね。

日本人のように月代を剃り、頭髪を結んで日本人を装い、
手真似や恐喝をもって同胞から略奪した


義兵の記事も参照にすると興味深いでしょう
先日、掲載はしませんでしたが、倭軍(日本の蔑称)を
討つと称して、義兵を募り李氏王朝に対して反乱を
起こした例もいくつもあります。
宣祖実録巻四七 宣祖実録巻七七 乱中雑録二 



↓クリックお願いします^^

人気ブログランキング