摂津守のブログ

過去に喜楽さんのサイト 別に摂津守の御内だす のブログを 持ってました 摂津守から記事を移動中

2014年01月

前回の記事で、秀吉軍が文禄の元年から
確保していた地域の朝鮮民衆との関係が
良好であったことを紹介しました

慶長の役においてはどうでしょうか?
続きを読む

6g9avx3ottpuba87uxc9-718495d4

休戦・交渉期間中であった1595年-1597年の
秀吉軍占領地の様子を朝鮮側の記録の宣祖実録を
通して見てみたいと思います
続きを読む

nigaoe_toyotomi_hideyoshi
フリー画像の いらすとや さんから



秀吉の死による秀吉軍の撤収を、
明や朝鮮はどのように感じていたのでしょうか

続きを読む

おはようございます

明けましておめでとうございます&主の
ご降誕おめでとうございます

22日の カンガス 神父 の黙想会のあとは、
24日の降誕祭、その後のお祝い会と25日の御ミサ、
1月1日の神の母聖マリアと続きました

では今日の内容は
文禄2年(1593)の1月7日の平壌城の戦い

53000の明・朝鮮軍が小西行長が守る平壌城に
攻城戦をしかけます

小西行長が、日本人の習慣から見れば
いとも卑しい行為と言った状態で戦闘になったこと、
明・朝鮮軍の大きな損害、城内の建物や民衆の被害など、
これらのことを中国、韓国(朝鮮)に慮るためか
あまり詳しく伝えられることも少ない気がするので、
今回は平壌攻防を記事にします


続きを読む

このページのトップヘ